ジャニーズに興味のなかった母があっという間にキスマイ玉森担になった話
母はキスマイ玉森担である。そうなったいきさつを話すにはまず私の話からする必要がある。
2012年、2月。私はあんなに大好きだったHey!Say!JUMPの山田涼介*1からKis-My-Ft2*2に担当を変えていた。そして夏。私は前年7~9月にかけて放送されていた美男ですねの前半を見ていなかった事を後悔していた。そして毎日の様に言っていたセリフ「美男ですねの再放送見たい」これが母が玉森担になるきっかけの一つとなる。
ある日、母は新聞のテレビ欄に美男ですね再放送の文字を見つけ、録画する。私が見る時、母も一緒に録画した再放送を見ていた。そして同時期、いきなり黄金伝説では玉森の1ヶ月1万円生活を放送していた。これも私が当然のように見るので母も一緒に見ることとなった。後で母に聞いたのだが、この2つの番組が無かったら玉森担にはなっていなかったらしい。ドラマでは「俺を好きになることを許可する」などとカッコいいことを言っておきながら、バラエティでは薄力粉が読めず「うすりきこ?」と呟いている。このギャップにやられたらしい。
そしてこの2つのテレビ番組をきっかけに母は玉森担となる。知らない間にファンクラブに入り、コンサート(Goodいくぜ!)にも応募していた。しかし結果は落選。その日は一日中落ち込んでいた。コンサートが外れて一日中落ち込む日が母に来るなんてなんだか不思議な気分だった。それまで母は俳優の内野聖陽が好きでドラマ「不機嫌なジーン」のDVD BOXを私の父、つまり夫に隠してまで買って見ていたのに、そちらには見向きもしなくなっていた。
そして2013年、9月。母は自身にとって初めてのジャニーズの現場「DREAM BOYS JET」に足を運んだ。帰って来た母はとても上機嫌だった。感想を聞くとかっこ良かったと言っていた。あと、自分の席の近くの通路を玉森が通ったらしい。11月には「SNOW DOMEの約束」の東京ドーム公演にも行っていた。この日は近くに来た時に玉森の名前を一生懸命呼んだら一瞬、自分を見てくれたとすごく嬉しそうだった。その時に玉森が見たのが母なのか、母ではないのかは分からないけど1人の人間をここまで幸せにするジャニーズはすごいと思った。
あの夏、母が玉森担になるきっかけとなった番組を放送していたTBS、及びテレビ朝日には非常に感謝している。共通の好きな話題で盛り上がるのはとても楽しい。
また、オーディションの日行きたくなくて、パーカーの袖の色が変わるほど泣いた玉森少年も今や大人になり、Kis-My-Ft2にとって決して欠かすことの出来ない存在になっている。彼にはこれからも私の母のように多くの人を幸せにして欲しい。
そう思っている。